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英語で異人とわたりあえる日本人を増やしたいと願っているナショナリスト。

自己紹介文

株式会社be208.com (ビーイーツーオーエイトドットコム) 代表取締役。その傍ら非常勤講師として慶應義塾大学でビジネス英会話、経済英語、法律英語など6コマ担当している。著作は右側のサイドバーにあるとおり。後悔しているが、2005年前期担当として「NHKラジオビジネス英会話」の講師を務めたこともある。

1952年、東京で生まれたが3歳でロンドンに行ったので東京の記憶はあまりない。日本での学校は高校までフランス人−−と言っても、みなアルザス出身の田舎者ですごいなまりのフランスを話す−−神父たちが牛耳っていた東京の暁星学園。父親がスェーデン大使を最後に退官した外交官だったおかげで、日本語より先に英語をおぼえてしまい、英語の方がしっくりくる。本当は。外交官にもいろいろあるが、父は幸いロンドン以外は、いわゆる「館長」だったので、もの心ついて以来、広い公邸、大勢の使用人、最高級車、日本人シェフの高級和食、そしてスペイン語とフランス語、さらには英語の家庭教師と、いい生活しか経験がない(ひところ外交官の公私混同がとりざたされたので父に確認したら毎月、私的生活費を別途役所に納めていたそうな)。そのせいで理由のない特権意識が染み付いてしまい、イカンイカンと思うことが多い。ただ、そのことがわかっているだけでも、よそで見た大使の馬鹿息子よりよほどマシだと自分では信じている。

1971年に慶應義塾大学法学部法律学科入学。英語の配点が高かったため、受験は楽勝。在学中はまさに酒とバラの日々で、享楽的な4年間だった。今は木石と化してしまったが、当時は、パーティーなどで一段と目立っているヒカリモノ系の女性がいると、人情の自然に導かれるまま、吸い寄せられるのが常だった。こんなありさまだから、勉強はついぞしたおぼえがない。

1974年頃、何気なく買った岡先生の国際政治史に感動して政治学専攻の修士課程に進んだ。これが1975年。1977年に修了。修士論文は「対外政策と情報機関」。当時米議会でCIAに対する調査委員会が設置され、公聴会の記録など信頼できる一次資料にこと欠かなかったので、けっこう楽しめた。

学部で本が読めるようになり、修士でまとまったものが書けるようになり、博士で勉強がわかるようになると言うそうだが、当たっていると思う。

大学院を出たあとは、しばらく自宅にいながら、フリーの通訳翻訳であぶく銭を手にしては、遊んでいた。しかし、これではただの英語屋だ、何か専門分野を持たねばと、枡田江尻法律事務所(今は、あさひ狛法律事務所)の門をたたき、法律専門の翻訳者としての修行を始めた。おかげでひととおりスキルが身につき、飽き始めていたところで、ひょんなことから転職。こうしてモルガングレンフェル(今はドイツ銀行に吸収された英系投資銀行)やプルデンシャル証券といったところで証券や金融、経済関係の英語をひととおり身につけるに至った。

興味のあること

実用性のない資格英語の世界に迷い込んでいる学習者や企業関係者がどうしたら英語はスキルだということに気づき、外国人とわたりあえる普通の英語を勉強するようになるかを日々考えています。